歯薬賣のせりふ(江戸浅草奥山の長井兵助)


新板居あいあき、親方とやっこのかけ合いもんく

「おや方:サアこれからやっこをあいてに
一手お目にかけふ。・・・・・かでんはぐすり
はゆるぐはをすへ、むしくいばのいたみをと
める。又むしばをあくには、いたまあやうに
と手びやうしにてははをぬき、
やっこ:あいびやうしにはくびをぬく。
おや方:コリャコリャやっこ、そそういふな。・・・・・」
      

            
  
      「大寄噺尻馬」  (長谷川貞信著」


江戸時代の箱入り広告  「嗽石香(そうせきこう)の口上
風来山人と称しエレキテルで有名な蘭学者、
平賀源内の「嗽石香」宣伝文句を紹介すると、

「トウザイトウザイそもそも私住所の儀八方い八つ棟作り・・・・・御引立くだされし、はみがきの儀、今時の皆様は能くご存知の上なれば、かくすい野ぼの至なり。その穴をくはしくたづねたてまつれば、房州砂ににほひを入れ、人々のおもひつきにて名を替えるばかりにて、元来下直(値段の安い)の品にてござそうらへども・・・・・・・。
このたび箱入りにつかまつり、世上の袋入りの目方二十袋分一箱に入れ、御つかひ勝手よろしく、袋が落ちり楊枝がよごれるというようなへちまなことのこれ無きよう仕まつり、かさ(裏)でせしめるつもりにて少しばかり利を取り、下直にて差し上げ申しそうろう。・・・・・」


  「東家八大家戯文(げぶん)」          平賀源内

             
                                                 

江戸時代の歯磨粉の成分

 江戸時代の歯磨粉は、房州砂(ぼうしゅうずな:海砂ではなく陶土を水でこした上ずみの細かい粒子)に、丁字、薄荷(はっか)、じゃ香、竜脳、乳香、肉桂(にくけい)など香料を混ぜてつくられていた。
 房州砂は現在の千葉県館山近辺の山でとれ、江戸に運ばれていた。
 歯磨き粉の名称は、梅香散、嗽石香、君ケ香などのように「散」「丹」「香」の字が使われ、文化、文政の頃には、100種に及ぶ商品が売られていた。
明治になり欧米式の処方による洋式の歯磨の製造がおこなわれるようになって、基剤として炭酸カルシウム、炭酸マグネシウムが原料として用いられるようになった。
    


  歯磨薬砂の処方
  「救民妙薬集」 穂積氏甫著(元禄6年)



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