江戸時代の歯磨粉
 
 元禄時代になると、兼康の「乳香散」、薬種商の「おもだかやの歯磨」、「箱入り歯磨嗽石香」、松井源水の「市之丞のはみがき」、文化、文政の時代(1804〜1829年)には「松葉じお歯磨」、「団十郎歯磨」、「助六はみがき」、「一生歯の抜ざる薬」など多くの歯磨粉が製造、販売された。

 江戸時代には浮世絵を歯磨の袋に描いたものや○○散、○○香など名称が多い。江戸時代、文政年間には、じゃ香や紅入りの歯磨が上品とされた。江戸小網町の「伊勢吉」、瓢箪屋次郎左衛門の「団十郎歯磨」、美濃屋の「一生歯の抜けざる薬」が有名だった。

 明治に入ってから、「紅梅香」、「はこべ塩」などの歯磨粉が発売された。 


    
  「團十郎はみがき」 文政年間(1818-1829年)
「一生歯の抜けざる薬」     文政年間       「伊勢吉」 (幕末)
  
    
 
 

明治初期から中期の歯磨粉
 明治初期には、わが国古来の調合による歯磨粉が製造され、明治5〜6年頃になると、欧米式の処方で歯磨粉が作られるようになった。
明治初期の歯磨粉は、房州砂を原料としており、「歯の害は少なからず」と新聞に書かれているように、品質はあまり良くなかったようである。
明治初期から中期にかけて、数多くの歯磨粉が製造され消えていった。明治中期から後期にかけては、「○○散」という名称から「○○歯磨」となり、品質も良くなっていった。
   
 「寶香」(明治初期)        「助六歯磨」(明治23年)
 
 「大博士」(明治26年)             「鹿印練歯磨」(明治26年)
             
                                                 
日本で初めての練歯磨
 明治3年から13年ごろには、アメリカよりコルゲート、ペプソデント、イギリスからギブス、フランスからシトロエンなど洋製の歯磨粉が輸入されていた。

 明治21年には、福原資生堂(現資生堂)より初めて練歯磨が発売された。当時の歯磨粉は、陶製の容器入りのもので2〜3銭、桐の箱入りの歯磨は5銭であったが、この練歯磨は、25銭と高価なものだった。成分も歯質を損なわずに化学作用で歯石を溶かし、口臭を除き、常用すると生涯歯の病にかからないという特徴を宣伝していた。
 明治29年には、小林富次郎がライオン歯磨を発売した
  
 「ライオン歯磨小袋入第1号歯磨」  「福原氏衛生歯磨石鹸」陶製の容器(複製)
   <ライオン史料室提供> <資生堂企業資料館(掛川)提供>
  
       
  
 

 もどる   すすむ    歯の博物館入り口へ