| 横浜の入れ歯師の引札 |
横浜常盤町4丁目(神奈川県歯科医師会館の付近)で開業していた入れ歯師、大田氏の引札(ちらし広告)がある。和洋の入れ歯の広告宣伝には、西洋歯科医学発祥の地、横浜らしい新工夫がある。金銀金具留(金属のバネ)は、残っている歯にかけ、入れ歯を支えるもので、並と上等など金属により料金が異なっている。惣歯(そうし)とは、総入れ歯のことである。男糸つなぎ、女糸つなぎは人工歯を裏側から三味線の糸で連結することで、女性用はお歯黒の黒い歯、金着(きんちゃく)入れ歯は、入れ歯の裏側に金箔をつけ、殺菌作用によりくさい臭いがしないように工夫したものと思われる。 |
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| 入れ歯引札の版木(はんぎ) |
| 引札は、元録時代に始まり、盛んになったのは文化、文政のころで、お客を引くために使うという意味で引札といわれた。広告の媒体として、絵看板と共に多く使われた。引札を刷る版木は、浮世絵の版木と同様に、桜などの木に彫って、和紙に墨で刷っていく。 この入れ歯の版木には、 “御望(のぞみ)次第、工合(具合)専一に、念入りの事、成丈(なるたけ)下科(安い費用で)に細工仕り、御意に相叶(あいかない)、御報仕(奉仕)差上申候”「男女御入歯 甲州壹町田中 秀岡堂」とある。 |
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| 「入れ歯師」の看板 |
| 赤穂浪士で有名な芝高輪の泉岳寺の史料館には、「かねやすゆうけん」「御入は」「口中」の看板が保存されている(後者の二つは、現在展示されていない)。 「かねやすゆうけん」の看板の文字は、堀部安兵衛による筆、また「御入は」の看板は、赤穂四十七士の一人、大高源五の筆である。兼康裕元の歯磨店は、赤穂の歯磨き用の焼塩を商っており、赤穂の義士とは顔なじみであった。 明治時代の看板には、実物の入れ歯を入れたガラスケースの看板や翁の蔓が錨をくわえて下に“入歯”と書いたものがあった。
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