| 滝沢馬琴と木製の入れ歯 |
南総里見八犬伝』で知られる滝沢馬琴(1767〜1848年)は、若いときから甘いもの好きで虫歯に悩まされていた。馬琴は、57歳で総入れ歯を使いはじめ、馬琴日記には、前歯をとめた三味線の糸が切れて入れ歯師に締め直しに出したり、入れ歯の奥歯に金属の鋲を打っなど修理してもらった当時の記録が残っている。 △かけかえ入歯上之方、糸つぎ直し之事、神楽坂吉田源八 へ申付候様、注文ふくめ、右 入はここ入、為持遺す(文政 10年11月15日) △過日、吉田源八に申付させ候入歯つなぎ直しの事、歯二 枚打 損候に付、 取かへ可申、 依之、代四匁のよし、申 之、金壱 朱にて申付候示談(文政10年11月19日) △入歯師源八、下歯鋲打せ候事、10本にて不足のよしにて 19 本、打之、壱本弐分 弐厘づつの処、金一朱にいたし 候、右 鋲打せ持参、則、右 代金壱朱渡し(天保5年10月 15日) |
『広告でみる江戸時代』より引用 |
||||
|
|
|||||
| 木製の入れ歯から西洋入れ歯へ |
| 明治維新後、多くの外国文化や技術が導入された。グッドイヤーがゴムの製造法を発見し、ゴムに硫黄を加えると硬くなる蒸和法を考え出した。新しい入れ歯の材料として、アメリカから加硫ゴム(蒸和ゴムと呼んだ)や陶製の人工歯などが輸入された。
明治初期から中期には、従来の“木床義歯”は、「皇国義歯」と呼ばれ、加硫ゴムで作った入れ歯は、「西洋義歯」と呼ばれた。 「西洋義歯」は、1)金型にワックスで作った入れ歯を石膏で埋め、2)湯でワックスを流してできた陰型に軟化したゴムをつめ、3)それを蒸和刈に入れて熱を加え、5〜6気圧で硬化させた。 政府は1874(明治7)年、「医制」を公布し、医師開業試験に合格した者のみに医師の資格を与え、当時の医療の主な担い手であった口中医、入れ歯師たちは「入歯歯抜口中療治営業者」の鑑札を与えられ、「従来者」と呼ばれていた。日本の誇る木床義歯は、徐々に姿を消し、近代歯科医学の中に埋没して終焉を迎えた。 |
|
|||||
|
|
||||||
| |