中国の王の墓から発見された歯ブラシの柄

 中国では、南宋の時代(1127〜1279年)には、牛の角で歯ブラシの柄を作り、馬の尾毛を植えた歯ブラシの原型があった。中国に仏教の修行に留学した道元禅師は、動物の毛を使った歯ブラシは仏教では不浄の器とし、日本帰国時には楊枝で磨く方法だけを持ち帰り紹介した。
 この写真は、北京首都医科大学資料室に展示されている動物の骨で作った歯ブラシの柄である。

 

            展示してある歯ブラシの骨柄

 明治初期に輸入された洋式歯ブラシ

明治初期に輸入された歯ブラシは、銀の柄や動物の骨で柄が作られており、豚毛や馬毛を植え、裏側より糸で縛ってある。当時の輸入歯ブラシは、高価であったため、一部の人しか使えなかった。明治11年発刊の「世界商売往来」という本には、それまで使われていた房楊枝にちなんで歯ブラシを「牙掃」と訳してある。明治5年には、大阪で、輸入された歯ブラシをまねて、鯨の髭を柄に馬毛を植えた国産の歯ブラシが製造され、「鯨楊枝」と名づけて販売された。
明治11年に発刊された「初学人身窮理」という翻訳本には、「食事の後は必ず“ブロッシ”(歯ブラシのこと)と唱える歯磨の道具を用い、水にて能く洗うべし」、「朝夕には1度づつ温湯にて口内をそそぎ、“ブロッシ”を用いて歯の前後、上下の向に擦り磨くべし」と紹介されている。

 



   上2本は骨柄歯ブラシ
   下は銀柄歯ブラシ
             
                                                 

明治中期には、多くの人が房楊枝を使っていた


 
 明治21年の小島幸の石版画や明治26年の小林清親の版画には、庶民の生活習慣として房楊枝で歯みがきをしている光景が描かれている。これは、明治中期まで、庶民が房楊枝を使って歯みがきをしていた証拠となる。房楊枝による歯みがきは、歯の裏側がみがきにくい、木の繊維が口の中に残る、耐久性がないなどの理由で徐々に歯ブラシに代わっていった。
 明治天皇の妃、昭憲皇太后は、動物の毛の植えてある歯ブラシで歯をみがくのを嫌い、生涯、房楊枝を使っていた。

 

  

   『艶婆十六女仙』 小島 幸 作           小林 清親 作

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